都市住民の大半が集合住宅に住むロシア。夏になると、多くの人が郊外にある住まい付き自家菜園「ダーチャ」で農作業にいそしみ、家族が食べる1年分の食料をこしらえるという。農ある暮らしを市民に提案する「ふくおか農業体験農園園主会」の会員とロシアのハバロフスクを訪ねた (佐藤弘)

cc1bca7c.jpg ▼数十種類の作物
 ハバロフスク空港から郊外へ車で約30分、さまざまな形の屋根が立ち並ぶダーチャ村がそこかしこに見えてきた。

 冬は2メートルの積雪がある極寒の地。通常、ダーチャに住むのは夏の間だけだから、不審者が侵入できないよう、多くの家は犬を飼い、がっちりした無粋な塀で囲われている。だが、そのドアの向こうには広々とした菜園が広がる。

 トマト、スイカ、キュウリ、ナス、ブドウ…。平均600平方メートルの敷地に、数十種類に及ぶ野菜や果物が実る様子に「こりゃ、兼業農家のレベルやな」。福岡市東区の農業体験農園「百姓園」の園主、北本一孝さん(67)が驚きの表情を浮かべた。

 通訳のエレナさんは「シーズン中、仕事を持つ現役組は週末を、年金組は常にダーチャで過ごすのが一般的なパターン。夏休みが3カ月あるロシアでは、祖父母とダーチャで暮らし、自然との付き合い方を学ぶ子どもも多い」と話す。

 ▼ロシア革命から
 ダーチャの起源は、地主階級から没収した土地の再分配を農民たちに約束した1917年のロシア革命。申し出があれば、自留地と呼ぶ個人の土地が政府から与えられる制度ができた。

 幼稚園に勤めていたリューバさん(65)が、夫のビクトルさん(65)とヴィノグラドフカ村に約1600平方メートルの土地を購入したのは20年前。週末にダーチャに通っては原野を畑にし、3年以内に家を建てることで、政府から格安で土地を払い下げてもらった。

 リタイアした今は夏の間、ダーチャに滞在。年間240キロのジャガイモを収穫し、野菜と果物を栽培してニワトリを飼う。

 トマトは青どりして塩漬けし、木の実はジャムなどに加工して冬に備える。住まいの下に掘られた地下室には、そうした保存食の瓶がずらりと並んでいた。「年金は少ないけれど、ダーチャがあるからやっていける」とリューバさん。

a5ff856d.jpg ダーチャ村の住まいは掘っ立て小屋からプール付きの豪邸までさまざまだが、一つとして同じものはない。日本のように専門業者に頼まず、電気工事なども含めて、自らの手で少しずつ造り上げるためである。
 「ロシアの男は何でもできるんです」。エレナさんが自慢げに言った。

 ▼強さと豊かさと
 ロシア人1人当たりの国内総生産(GDP)は約140万円。所得という物差しからすれば日本の30%程度で、とても「豊かな国」とは言い難い。

 ただ、有事の際はどうだろう。もし世界的な気候変動や国際関係悪化などで食料輸入に支障が出たら-。ロシアの場合、85年以降、何度も経済危機に見舞われたにもかかわらず、餓死者が出なかった。それは国内3400万世帯の8割がダーチャなどの菜園を持ち、ジャガイモの国内生産の9割、野菜の8割を自給していたからといわれる。

 農山漁村が元気だったころの日本なら、何とか持ちこたえられるだろう。食料自給率は今よりずっと高かったし、自ら食料を作り、調理するという「自給力」が国民にあったからだ。しかし、食の国際分業や衣食住に関わる家事の外部化によって“発展”した現代社会。農家の子でも小学校の授業で初めて田植えを経験するという時代、わが身に照らし合わせても、そんな底力があるとは思えない。

 広々とした大地で大規模な農業が繰り広げられる一方で、食料を自給する能力を持つ市民たち。「ダーチャで体に悪いものを使って食べ物を作る人はいませんよ」。農薬の使用について尋ねたときのエレナさんの反応に、経済成長だけでは得られない強さ、豊かさの尺度について、あらためて考えさせられた。

 ◆ハバロフスク アムール川の右岸中流域にある人口約57万人の工業都市。北緯48度で札幌市より5度高く、真夏は連日30度を超えることもあるが、冬は氷点下40度付近まで冷え込む。
=2013/09/18付 西日本新聞朝刊=