21世紀的世界

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ツーリング

2011-05-02 & 03 富士山、諏訪、御巣鷹の尾根3

5月3日 忘れがたき御巣鷹慰霊の旅2

  少し戻ったところで先ほどの高齢者と先ほどの女性がしゃべっている。女性は某大新聞の記者だというのが聞こえてきた。高齢男性が小さな尾根の詳細なルート図(登山口付近に用意されているらしい)を持っておられたので見せてもらうと、やはりこちらもかなりの広がりだ。同姓同名の方の墓標はすぐ近くとわかる。しゃべっている二人と別れてそちらに行ってみる。その道沿いに坂本九さんの墓標があり、その方に教えてもらう。同姓同名の方の墓標に二人で手を合わせて戻る。

  男性二人は沢を降りてから帰るという。私は最初に下を見たときに降りるのは断念していたので碑に戻る。戻る時にその女性に「垂直尾翼が吹っ飛ぶほどの圧力隔壁の破壊があったと思えず、それが気になってやってきた」と告げる。いつか彼女が調べてくれることを期待している。

  もう一度お祈りしてから昼食代わりに携行食。碑の写真を撮る。写真の時間を見ると、登山口からこれまで約1時間40分。碑近くで女性(ハイキング装備)は男女(普通に私服)と話している。駆け出し記者で休日を利用して先輩とやってきたという。半分仕事というか、要するに休日も修行中ということらしい。私は一人で下山。降りるのは早い。登山口近くの沢の中で小鹿が死んでいる。山の中はかなりのフンがあった。かなりの鹿密度ではないかと思う。

  雨の心配があるので慌ただしく準備。地図をチェック。関東回りで帰るか、十石峠を戻って北周りの高速にするか悩む。とにかくR299を戻ることにするが雨がポツポツ。降りてゆくと「小海」方面の案内がある。よくわからないがR141に向かえそうなのでそちらに向かう。ぶどう峠越え。こちらも険道。

  うまくR141に出た。あとは麦草峠を越えるだけ。
ここまで路面は完全に乾いていたり、水浸しだったり、小雨に降られたり、雨はひどくまだらに降っている。峠を登ってゆくと小雨が続く。そしてみぞれに、最後は雪!に(16:00頃に峠)。シールドに雪が積もる。手袋も濡れて手が冷たい。濡れた路面で少し滑ったこともあって、こわくてスピードが出せない。とにかく突っ切るしかなく諏訪ICに向かう。

  中央道、名神はそれなりに混んでいる。名神では20kmの渋滞。すり抜けするとぶつかりそうな気がするぐらい、峠越えで疲労がたまっていて徐行がつらい。タイトな峠で力まず走れる技術がなければ本当のロンツーはできないことを実感した一日。

2日間で約1118km 23.8km/L 峠越えが多く、走行距離短く燃費悪い。


2011-05-02 & 03 富士山、諏訪、御巣鷹の尾根2

5月3日 忘れがたき御巣鷹慰霊の旅1

  7時過ぎ 諏訪出発。午後から弱い雨の予報。前日、諏訪から美ヶ原高原美術館まで40km以上あるのがわかったので急ぐ。一時間で美術館到着。美術館に近いヴィーナスラインはよく整備されている。とにかく黄砂が残念。

  その後、ナビの言うままヴィーナスラインから林道を下ったり、ナビまかせで色々苦労。どこをどう走ったかわからないがとにかく十石峠に向かう。酷道とは知らなかった。それでもなんとか10時半頃、慰霊の園到着。静謐な祈りの空気に包まれている。資料館や管理棟もあり、よく整備されている。

  駐車している車は多いが、それだけの数の参拝者はいない模様。どうも村の人かすぐ下のお寺の参拝者か。それでも途切れることなく参拝者がある。身元不明の遺体は市町村が責任を持つという規定によって、上野村で遺骨が安置されることになった。二本のモニュメントの正面から8km先に御巣鷹の尾根があるという。モニュメントの後ろが納骨室。
詳しくは「上野村村長・黒澤丈夫さんのお話(平成12年12月5日「NHKラジオ深夜便 心の時代」より)」 http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-takeo.htm

  お参りした後にナビ任せで山に向かうが、途中でダート。事前に調べた道と全然違っているので、Uターンして地図を確認。R299にちゃんとした「御巣鷹の尾根」の誘導がある。ダムまではかなり整備された道。トンネルがいくつかあるが、一部は曲がりくねっていて、最近ではおなじみの「節電のため減灯」。しかも反射板が少なく、泥で汚れているらしく少し怖い。ダムから先は落石、落ち葉・枝が多く、少しましな険道状態。

  11:45頃、旧登山口到着。登山口は閉鎖されているし、その向こうには立木が道をふさいでいるので迷うが、意を決して準備を始める。準備が終わった頃、登山口手前を左に上ってゆくきれいな道から2台の車がおりてきて1台が駐車場に止まったので訊ねてみる。

  左の道が新しい登山口への道だと教えてもらい、そちらに向かう。かなりの登り。ほどなく到着。駐車場もアスファルトでよく整備されている。登山道は約2kmから800mに短縮。しかし、あなどれない急斜面。登山道は機体後部が落下したスゲノ沢を登ってゆく。ハアハア言いながら登ってゆくとほどなく墓標などが目に入ってくる。記号などで位置がわかるようになっている。
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  事故現場一帯は想像以上の急斜面。救助関係者の方々の苦労がうかがえる。そして、その広がりに事故の惨状がうかがえる。ひとつひとつお参りしていると昇魂の碑まで中々たどり着けそうにない。斜面は本当にきつく、遺族のお参りも難しいのがわかる。お参りしているうちに胸に迫ってきて涙が出そうになる。

  時間がかかったがやっと昇魂の碑に到着。途中で出会った高齢の男性2名の一人は被害者の中に同姓同名の方がいたため、当時、死んだと思われ大騒ぎになったのと義理の親族が慰霊祭での演奏に関わっているので、中高時代の同級生と来たという。その人から25周年で事故を特集した「グラフぐんま」のカラーコピーをもらう。

  昇魂の碑の後ろの尾根にも墓標が広がっている。祈りの小屋のようなものがある。出たところで若い女性から遺族かと聞かれる。その人も関係者ではなく、聞いてみると事故は生まれる前のことなので勉強だという。別れて、お参りをしながら機体前部が落下したという北側の沢すじを探す。「至 日航の頭」とあるので少し登ってみるが獣道のようで、どうもおかしい。

  後から登ってきた先ほどの女性とどうするか迷っていると登山者が降りてきた。聞いてみると日航の頭(かしら)まで1時間ぐらいかかるという。大きな立木が燃えた跡があるという。その女性も迷っていたがお互い時間的に無理ということで断念。帰宅後調べると「日航の頭」は事故とは関係ないようだ。少し戻って降りてゆくと奥に墓標群を発見。これもとても一つ一つお参りできない数と広がりだ。


2011-05-02 & 03 富士山、諏訪、御巣鷹の尾根1

5月2日 4時過ぎ自宅出発。高速は空いている。東名では断続的にだんごになるが、今までの東名経験からするとガラ空きと言っていいと思う。

  9:30頃 富士スカイライン到着。愛媛から来たという人ががっかりしているのでスバルラインを紹介。私は行くつもりは全くなかったが、現地で地図で見ると何故か近く感じたので私も行ってみることに。楽しみにしていた県道71は行けなかった。
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  11:00頃 五合目到着。黄砂がひどく遠望が利かないが山頂はすっきり見える。天気がよく冬装備なので暖かい。噂にたがわず、ここでは中国語が公用語(そんなことはない)。
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  道に迷ったりしながら本栖湖を通って清里方面へ。樹海が富士山の裏側とわかった。富士山は他の山に比べ樹海以外でも木々が密生している。いずれにしても予想通り、道路など人工的過ぎて面白みに欠けていて富士山自体はあまり魅力的ではなかった。

  時間に余裕があったので八ヶ岳の東麓にまわり麦草峠を通って宿泊予定地の諏訪へ。峠付近は結構寒い。とにかく黄砂がひどく標高の高いところ以外はひどいもやがかかった状態。高度を上げると近くはよく見えるようになるが遠望はきかない。


運命の逆転_160-600
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